【第3章】 20代 サバンナに出るまでの話

サバンナを恐れ、足踏みし、もまれ、気づいたらやれてた話。

① 勘違いしていた俺と、すべてが壊れた日

高校を卒業した18歳。

高校時代はほとんど勉強していなかったから、大学受験も受けず、とりあえず卒業した。

うちの学校は高3になると人が変わったように猛勉強して、
200人のうち半分は東大か国立医学部に行く超進学校だった。
残りの半分は浪人して、そこから東大に行くのが普通の流れだった。

自分は勉強していないのに、
「早慶くらいでいいや」とか考えていた。
全く届かないのに笑

進学校だったから予備校は無料だった。
だからとりあえず代ゼミに入った。

新学期、さっそく、大きな事件が起きた。

卒業して1ヶ月くらい。4月か5月。
1年以上付き合っていた彼女に振られた。

俺様でやってきたから、彼女は自分のものだと大きく勘違いしてた。

今思えば、彼女の不満や悩みなんて一切聞いていなかったし、別れたい気持ちなんて全く汲み取れていなかった。

ある日突然、別れ話を切り出された。
俺は「なんだよそれ」となった。

その瞬間、彼女は走って逃げた。
俺は追いかけた。

彼女は駅員室に駆け込んだ。

その光景を見て、目を疑った。
今まで「自分の彼女」だと思っていた子が、自分を犯罪者みたいに扱っている

駅員さんに止められて、そこで状況を理解した。

一瞬で、自分が勘違いしていたことや、彼女の気持ちを察した。

終わったな、と思った。

そのあと、駅のベンチに座って、
ただただ絶望した。

しばらくして、死にたいなと思った。
でも死ぬ勇気はなかった。

あのとき初めて、
自分がいままで何も見えてなかったことを思い知った。

次の日以降、
彼女はすぐ別の男たちと遊び始めて、
先輩と付き合ったとか、
おれの同級生とも遊んだとか、
いろんな話が入ってきた。

これは結構ツラくて、
もうどうしようもなくて、
夜中まで友達に話を聞いてもらったり、
電話したりしていた。

狂いそうだった。
友達に支えられた。

見かねた姉と母親が、
遠くの田舎の方に花を見に連れて行ってくれた。

それをよく覚えている

その時、なんとなく区切りを感じた。

マリオのスターが切れた
心に「ぽっかり」なんて、かわいいもんじゃないデカい穴が開いた。
そんな感覚だった。

② ダラダラしていた。でも、内側ではずっと戦っていた

浪人1年目は、ほぼ勉強せず、ダラダラしてた。

予備校には、いろんな高校の仲間がいて、勉強しないやつも多かった。
一緒にだらだらする仲間は、いくらでもいた。

そして受験の時が来た。
当然、受験はダメ。受けもしなかった。

高校の同級生はみんな優秀だから、進学先が決まっていった

2浪目に入った。
2浪目は50%オフとかだった。
信用やブランドって結果出さないとなくなってくんだとガキながらに感じた。

2浪になると、残ったのは自分も含めて、
だらしないメンバーばかり笑

高校の同級生はほぼいなくなってた。

20歳になるし、どうしようと思うが、
やる気はないし体がついてこない。

頭の中にはずっとあったのは、

2年遅れた俺に価値があるのか

勉強もしてない(できない)クセに、
「たとえ今から東大行ったとしても、現役と2浪じゃ違うよね」とか、ずっと考えていた。

今思えばどうでもいいことに頭が支配されて動けなくなってた

習慣も環境も変わらない。
ダラダラしたまま2浪目も終わった。

このころを諦めずに、
支えてくれた姉と母に感謝しかない。

予備校にもあまりいかなくなり、
おれの1日の日課は、犬のタイソンの散歩だけだった。

いわゆる、ニートだ。

何もしてない日々が、不安だけを大きくしていった。
でも、動けなかった

ある日、犬が突然すれ違うおばさんに飛びかかって、噛んだ。

おれは動揺して、何もできなかった。

パートに出てる母親に電話した。

おばさんの病院に着いていき、
ただただ、立っていた。

病院の人に座ってくれと言われたが、
加害者意識があって座れなかった。

母親の息子(25歳くらい)が駆けつけて
おれをめちゃくちゃ恫喝した。

何も言い返せなかった。

結局、家に戻ってから
母親ともう一度謝りにいった。

自分でなにもできない。自分の小ささを思い知った
サバンナで生きられない。そう思った。

その時、おばさんに言われた。

「大人の男なんだから、自分でやらなきゃ」

さすがに、情けなかった。

サバンナを垣間見た
自分で問題を解決して、生きる世界。

自分はその手前の大学にすら行けてない。
サバンナを遠く遠く感じた。

そして、サバンナが怖く
入り口のはるか手前で足踏みしてた。
情けない。

社会のことがわからない、社会のことがしりたい。

どっかにいってしまった親父のせいにもしてた
なんでそれを教えてくれずにどっかいったんだよ。

この閉塞感、閉じ込められた感覚をはっきり覚えてる

もし今、動けてないやつがいたら、
たぶん同じだと思う。

何もしてないんじゃない。
内側ではずっと戦ってる。

がんばれとはいわないが、未来はある。
ただ、自分の足で飛び込んで、ダサいことして、学ぶしかない。

親父のせいじゃない
誰かに教えてもらうものでもない

③ 逃げながらでも、流れは変わり始めていた

3浪目。

人はほとんどいなくなった。

そこで俺は親に頼んで、大阪に出た。

親に支援してもらった。
このままここにいたら、おれは沈んでいくと思ったから。

大阪の予備校の寮に入れてもらった。

そこでいい出会いがあった。

京都、石川、鳥取から来た3人と仲良くなって、ずっと4人で生活していた。

かわいい悪さは相変わらずしてたけど、
寮生活だったし、周りも一応勉強する環境だったから、勉強した。

ちゃんと勉強したのは中3以来だった。

ただ、勉強するという能力がなくなってる、
また、中学受験がいかに人に支えられて勉強できてたのか、
成果を上げられていたのかを実感した。

みんな関西志向だったけど、
自分は小さい頃から「東京に行く」と決めていた。

「東京行こうぜ」と誘って、

結果、みんなそれぞれ東京の大学に合格した。
自分もなんとか合格した。

こうして、3年遅れて大学に入った。

大学生活は、最初は良かった。

でもクラスの人間と揉めて、行かなくなった。

そして、おれの頭を支配してたのは

3年遅れの俺に価値があるのか

またこの思考が頭を支配して、ずっと行動を止めていた。

悩んで、悩んで、

「俺、何やってんだ」

となって、

大学を辞めた。

親には申し訳なかった。

でも、もう社会に出るしかないと思った。
みんなに追いつくしかないと思った。

ついにサバンナに出た

最初に入ったのは、テレビ制作会社。

昔から東京やテレビの世界に憧れていた。

仕事内容は、ロケ場所探しや、ヤンキーを見つける企画など。

仕事としてはやっていけそうだったけど、すぐに幻滅した。
上司とも合わず、すぐ辞めた。

次に入ったのは営業会社。
リクルート系の広告営業。

完全飛び込み営業。週ごとに結果を出さないといけない。

新人キャンペーンで「名刺を取ってこい」があった。

俺は全く飛び込めなかった。

恵比寿ガーデンプレイス横の小さな公園で、半泣きで座っていたのを覚えている。

やらなきゃ終わるのに、体が動かなかった。

なんとか10枚だけ取って帰った。

結果、

周りは100枚。
自分はダントツ最下位。

偉い人に「大丈夫か」と言われたが、
「大丈夫です」と答えた。

その会社には1年くらいいた。

結果はほぼ出していない。

でも先輩に可愛がってもらって、毎日ご飯に連れていってもらって、終電で帰る生活だった。

その時ふと思った。

これ、東京にいる意味あるのか

辞める時、送別会をしてもらった。

そのあと、なぜか先輩に殴られた。

理由はよくわからない。
それも事実として受け止めている。

辞めるきっかけは、福岡から唯一の幼なじみが遊びに来たこと。

何やってんだ。やりたいことやれよ」

今のままでもよかった。
でも、このままじゃ終わると思った。
だから、逃げた

それで考えた。

自分は何がしたいのか。
何ができるのか。

教育
エンターテイメント
そして彼女が欲しい

結局、人は本音でしか動かない。

ここにたどり着いた。

福岡に戻った

④ 必死でやった3年が、全部つながった

すぐに自分が働きたい会社はピンときた。

自分が中学受験で通ったあの大手塾だ。

しかし、大卒縛りがある。

どうしても入りたい。

実績積んで、社長に直で認められるしかない。

勝手に体が、動き出した。

小さい個人塾で働きながら、コールセンターでも働いた。

彼女が欲しい思いも強かったから、とにかく働いた。

東京でサバンナに出て、揉まれてのまれてきたが、
ようやくサバンナで目的地を持って動き出せた

沖でようやく波待ちができるようになった感じか。
やっと、ひとりで海に入ってサーフィンできるようになった感じか。

そのころ、彼女ができた

自分の道を見つめて、走ってたら、彼女の話が舞い込んできた。

そんなもんだろう。

動くのみだ。

1年やって、その大手塾を受けた。

そこで活躍するイメージができてたから、
面接で全部話した。

高校からのぐうたら、大学中退、全部。

親に申し訳ないクズだけど、
教育とエンタメにたどり着いたことを。

社長に言われた。

「君は正直だね」
お母さんを安心させなさい。」

その場で採用された。

26、27歳。

ここから流れが変わる。

人事部長(高校の先輩)に言われた。

とにかく目立て

中途採用だから、普通にやっても埋もれる

だから決めた。

ここでもうひとつ支えにしてた言葉がある。

紳助さんのことば。

20代で3年がむしゃらにやれ。そしたらなんとかなる。」

あの言葉だけは、頭から離れなかった。

社内テストに集中した。

社内テストは年に2つあった。
・全社員 共通テスト  500人
・算数科 専門テスト  50人

おれが目立つにはそこしかなかった。

テストの前の1か月は休みも全部テスト対策に使った。

でも、ここで勝つ、おれは勝てる出世する。
その思いが強かった。

結果、

入社3年目:ダブル1位
入社4年目:2年連続ダブル1位

社長の目に入り、出世が始まった。

見える景色も変わった。
いろんな社員に認知され、仕事もどんどんやりやすくなった。

楽しかった

27歳。30歳まであと3年。

ここで決めた。全部突っ込む。

休みゼロの月もあった。
でも、とにかくやった。

その結果、29歳:主任。

そして30歳で、教室責任者。
結婚。

ここまでが20代。

サバンナに出るのは怖かった。

もがいて、本音にたどり着いて、勝手に体が動いて、
気づいたらサバンナでちゃんと生きられていた

ここから30代に入る。

20代で3年がむしゃらにやれ」

紳助さんのことばが一番デカかったし、
これはいまの若い人たちにも伝えたい。

あとは本当に母親と姉に感謝、父親にも。
ここまで命をつないで、幸せに生きてこられたのは家族のおかげだ。

20年経っていま振り返ると、全部、流れだった。

あのころの浮き沈みはすべて今につながってるし、
いま、自分の人生の波のパターンが少し見えるようになっている。

だから、乗れる。

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