①事件が起きた

【リアルタイム教育事件簿】

第1章 知らせ

1週間前、離婚して5年ぶりに元妻から突然の電話があった。

その瞬間、ただ事ではないと分かった。

娘――中学2年の娘が性被害に遭ったという。

「今から学校に話を聞きに行く」という。

頭の中が真っ白になった。

「なにされたんだ?」

想像すると動揺した。

だが真っ先に浮かんだのは、怒りではなく**「娘の気持ち」**だった。

絶望していないか。

塞ぎ込んでいないか。

生きる力を失っていないか。

それだけが心配だった。

2〜3時間後、娘からLINEが来た。

「時間あったら電話して」と。

すぐに電話をかけた。

声を聞いて少し安心した。

確かに悲しみも怒りもあったが、絶望には沈んでいなかった。

そして娘は泣きながら言った。

「同じ教室で、そいつが笑ってるのを見るだけで腹が立つ。あいつはなんで野放しなんだ。」

娘のその言葉を胸に刻んだ。

加害者は前科3件で今回4件目、しかも性犯罪。

なのに、同じ教室で平然と笑っている。

俺は瞬間で思った――

これはもう**“管理の問題”**だ、と。

本人たちは“それがどれほどのことか”を分かっていない。

社会が騒ぎ出して初めて、自分の行動の重さを知る。

つまり、そこに至るまでの教育が機能していない。

3回も起きているのに、“気づかせる教育”ができていない。

教師たちの感受性が鈍れば、子どもに伝わるはずがない。

根っこはそこだと思った。

第2章 学校の対応

次の日、俺は自分から学校に電話を入れた。

「昨日こういう話があったが、この件の責任ある人から電話をください」と伝えた。

最初にかけてきたのは学年主任の女性だった。

担任と校長は出張で不在だという。

正直、俺が校長ならこの初動で自ら電話をする。

だが、ワンクッションで教頭ならまだよしとしよう。

(この時点で、校長の危機感度はあまりよくないと感じていた。)

教頭に代わると、教頭も女性だった。

申し訳ない気持ちと、娘の心のケアの話を中心にしてくれた。

“重大だ”という認識も感じ取れた。

明らかに女性の方がこの問題のヤバさを感じ取っている。

ここで伝えておきたい。

俺は学校そのものを責めたいわけではない。

娘は内気で引っ込み思案な性格だが、「学校が楽しい」と話していた。

特に担任の女性の先生が娘を下の名前で呼んでくれる関係で、娘にとってかけがえのない大人の女性だ。

そんな先生に娘が出会えてよかったと、心から感謝している。

教頭は、週明け(4日後)に警察と関係機関を交えて会議を開くという。

その後に改めて連絡をくれると。

間を置く理由は釈然としなかったが、ここはいったん校長の出方を見ようと大人しく待つことにした。

第3章 校長との対話

そして当日。

約束の時間を15分過ぎて電話が来た。

教頭から始まり、途中で校長(初老のおじさん)に代わった。

……この校長が、ひどかった。

開口一番、俺と初めて話すその瞬間に、こう言った。

「お父さん、お母さんと話し合って、加害生徒を学校に通わせるようにできませんか?」

意味が分からなかった。

え?

開口一番、それ?

前科3件で今回4件目の性犯罪だぞ?

校長、ごめんなさい。

何言ってるの?

なんか用意された紙、読んでない?

話しぶりからも、この人は危機対応に不慣れで、

「クレーム対応」をしているような口調だった。

おそらく警察との会議で用意されたテンプレートを、そのまま読んでいるだけ。

「この流れで被害者の父に最初に言う言葉がそれはおかしい」と伝えた。

申し訳ございません、と言葉はあったが、声の温度がまったくない。

俺はイラッとして、年上のおじさんに言った。

「校長、自分の言葉で語ってくれ。」

ここまでの5分間で、校長にはもう期待できないと悟った。

怒りを抑え、事実確認に切り替えた。

案の定、これまでの3回の対応はどれもずさんで、大学生のアルバイト店長レベル。

自分の娘が被害に遭ったと思うと、心の底から怒りがこみ上げたが、飲み込んだ。

第4章 問いの核心

俺が一番確認したかったのは、

「なぜ4回も起きたのか。」

3回で対応できていれば、“ヤバい”と本人に感じさせていれば、4回目の事件は起きなかった。

娘が被害に遭うこともなかった。

校長に事実確認をしていった。

・1回目、2回目、3回目の発生時期

・被害者への対応内容と被害者の反応

・教育委員会にいつ誰が報告したか

・報告方法は、口頭なのか書面なのか

・教育委員会は何を指示したのか

そんなに細かい日付までは聞いていない。

聞くべきことを聞いたが、案の定、校長はほとんど答えられなかった。

1回目の日にちも、誰が対応したかも曖昧。

「教育委員会に報告はしました」と言うが、口頭だけで記録はなし。

教育委員会の指示は「再発防止に努めるように」。

まるで定型文だ。

自分の娘が性犯罪の報告を受けた親が、その日のうちに「大事にはしない」と取り下げる。

そんなこと、あるか?

しかも3件とも。

これを校長が言った時に、終わってるなと確信した。

第5章 組織という構造

校長と話すことはもうない。

今は、校長の報告がどう市教育委員会に伝わっているかを問い合わせ中。

同時に、県にもどう伝わっているかを確認している。

この事件は、個人の問題ではない。

組織の鈍化構造が引き起こした連続犯罪だ。

組織は放っておくと、必ず感度を失う。

そしてその先にあるのは“隠蔽”と“責任逃れ”。

それは人間の性だと思う。

だからこそ、**「目を覚ます仕組み」**が必要だ。

学校→市→県という流れの中の、

チェック機能・改善機能・取り締まり機能を生きた機能にしないと、同じことは繰り返される。

第6章 選び方のアップデート

問題は、そういう人が選ばれてきた**「選び方」**だ。

社会のあらゆる評価軸は、毎日静かに入れ替わり続けている。

けれど――

俺が今回ぶつかったのは、まだ淘汰されずに残っている“古い構造”だった。

もう流れは変わっているのに、その一角だけが取り残されている。

誰かが、あるいは組織そのものが、

それを残そうと無意識にがんばっているのかもしれない。

教育現場のトップに立つ人間にこそ、「人間の感度」が求められる。

人は人でしか動かされない。

感度の鈍った評価軸を更新することが大事だ。

第7章 痛みの先にあったもの — そして、ひなたひかり塾の教育

今回の件は、痛みからはじまった。

けれど今、俺は心の底から思う――これは“ありがたい時間”だと。

離れて暮らし、会話も減っていた。

でもそんなもんだろう。

毎月会いに来てくれることだけで、俺はうれしくて感謝で、パパとして誇りを持っていた。

それがこの事件をきっかけに、再び二人で言葉を交わし、一緒に歩めている。

結果がどうなろうと、俺が死んでも娘が笑って思い出してくれるような人生の時間を、いま一緒に生きている。

どんな形になろうと、パパという人間の生き方を娘に見せられること。

そして一緒に「教育とは何か」を、「社会とは」「生きるとは」を、体で、心で、リアルに感じ取れること。

こんなチャンス、狙ってもつくれない。

まさに人間万事塞翁が馬だ。

サラリーマンとして13年働き、心と体を壊して気づいた。

俺はもう、こういう鈍く重い構造に嫌気がさしている。

微力ながら、それを変えたいと願っている。

もし変えられなかったとしても、

せめて自分と家族、大切な人たちがその被害者にならないように。

そしていい波をみつけて、波に乗って、人生を楽しめるように。

ありのまま伝えていく。

これが俺の教育だし、ひなたひかり塾の教育でもある。

なんでも感じる、体感型の教育だ。

思考停止、右に倣えは、くそくらえ。

腹から自分が好きなことをやれ。

自分だけはごまかすな。

魂で生きろ。

魂を失ったなら、いったん立ち止まれ。

ゼロから出直して取り戻せ。

組織やグループでつるんで自分を正当化、そして麻痺してるやつがこども大人問わずたくさんいる。

これも教育の結果。

群れにまぎれて正しさをつくるな

声の大きい場所に逃げるな

そうはなるなよ 絶対 

まず一人で立ってみろ   

安全圏にとどまれば、波は一生つかめない

波に乗りたいなら、まずは一人で海に出ろ

市と県の動きを静かに待つことにしよう。

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